2008年2月、ぜろ祭り実行委員会を代表して、ぜろ祭りの出演者でもある
ミュージシャン森源太と写真家の平井慶祐が実際に地雷原を訪れました。
以下はその際のレポートです。
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プノンペン、シェムリアップに次ぐ都市・バッタンバンから西へ110キロ。
未舗装で、壊れた橋を迂回したり、所々に大きな石や陥没もある悪路を、日本のNPO法人『テラ・ルネッサンス』バッタンバン事務所の4WD車に乗せてもらい隣国タイとの国境の町パイリンへ。
さらに、そこからまた悪路を30キロ、今回の目的地であるプサープルム村へ。
このプサープルム村で、現在、現地団体MAGの中のチームの一つが地雷除去作業をしている。
この村は、かつてのカンボジア内戦時代のポル・ポト派クメール・ルージュが拠点とした地域で、その拠点を防衛する目的で、沢山の地雷が埋められたまま、現在に至る。現在も元クメール・ルージュ兵士の家族が多く住み、カンボジア全土、特にベトナムやタイとの国境地帯に広がる他の村々と同様、まさに『地雷原』の村である。
地雷原とは、そこに地雷が埋まっている『かもしれない』土地のことをいう。
車や人が利用する誇りっぽい土の道路の両側には、そこから先が地雷原であることを示す赤字に白で書かれたドクロのマークと『Danger Mines!!』の看板がいたるところに立っていた。人々が暮らす家のすぐ横や脇にも。パパイヤの畑の中にも。水を汲みに行く川に続く茂みにも。家族とくつろぐ人々の中に、地雷で手や足を失った人の姿をよく見かける。村人は地雷原の中で暮らしている。
私たちは、ぜろ祭り実行委員会を代表して、MAGへ地雷除去のための募金を直接寄付するために、そして一人の日本人として自分達の目で地雷の現場を見るために地雷原へと足を運んだ。
そこで、MAGの地雷除去スタッフとして働くある一人の女性と出会った。
クーン=ソコーンさん(26)は右足が義足の女性。
防護服を着て、金属探知機や地雷撤去用の器具を持って実際に地雷を除去している。
21歳の時に、徒歩で国境を越えてタイに仕事を探しに行く途中、地雷を踏んでしまったとう。
突然の来訪者の我々に、クーンさんは快く自らのことを語ってくれた。
「地雷を踏んだ当時、私は妊娠中でした。幸いお腹の子は無事でしたが、地雷で片足を失い、
精神的にも肉体的にも痛みが激しく残る中での出産は本当に辛かったです。
その後、地雷を踏んでしまったことが原因で旦那とも離婚することになってしまいました。
今、娘は私の故郷の家で私の母と一緒に暮らしています。
私はこの仕事をするためにこの村の近くに一人で住んでいます。
娘や母に会いたい。だけど、今は仕事をしてお金を貯めないといけない。
この体ではなかなか仕事は見つからないから。
ある日、MAGの方が地雷除去作業のスタッフを募集しに私の村に来ました。
地雷の被害に遭った人もスタッフとして働けるということだったので、地雷への恐怖よりも、
働けることへの喜びの方が大きかったからMAGで働くことに決めました。
安全に地雷原に入り、地雷を探すトレーニングを受けました。
初めて地雷を見つけた時の恐ろしさは今でも覚えています。
でも、今はもう大丈夫。自分を守るためにも落ち着いて作業をすることが大事だから。
家族もちゃんとトレーニングを受けたということで安心してくれています。
この村から地雷原が全て無くなったらもちろん嬉しいけど、地雷原が無くなったら、
私の今の仕事も無くなるので不安もあります。(MAGは現地の人を中心にスタッフを編成する)
次の仕事が見つかるのか、その不安が一番大きいです。 」
私たちは、クーンさんが無事に作業を続けていくこと、そしてこの村が安全になったその後にクーンさんが次の仕事を見つけ、家族と共に暮らせることを祈ることしかできなかった。それでも、クーンさんが見せてくれた笑顔には心が救われた気がした。
MAGのスタッフの方々は、地雷原を見に来た私たち日本人をとても快く受け入れてくれた。現在のカンボジアの地雷除去活動の現状、今までに見つかった様々な種類の地雷や不発弾、作業に従事するためのトレーニングの様子、そして実際の作業の模様。
私たちが訪れたその日の朝に発見された地雷を爆破処理する場面にも立ち合わせてもらうことが出来た。
半分は土に埋まったままの地雷に爆破装置を設置して、100メートルの導火線を延ばし、リモコンで操作して爆破処理をする。周囲に爆破処理をすることを知らせる笛の音のあと、ドーン!という轟音と共に土煙が上がる。
足が震えた。
埋められている地雷の多く(対人地雷)は、踏んだ人の足を吹き飛ばす程度に火薬の量を調整している。死に至るわけではない。
戦争において、地雷で相手兵士1人の足を奪えば、その兵士を助けるために2人以上の他の兵士が駆けつけ戦闘から離脱することになる。1人の命を奪うよりも効果的に相手の戦力を減らすことが出来るのだ。
地雷は半永久的にその能力を失うことはない。
内戦が終わり30年以上が経った今も地雷は生きている。
内戦が終わった現在、無数に埋められた地雷は兵士ではなく、そこに暮らす人々の当たり前の生活を奪い続けている。ある日突然、自分たちの村が理不尽に地雷原にされ、それから何十年も地雷原の中で生活していくことを強いられる。
生活のほとんど全てが地雷原の中に在る。
畑も水汲みも洗濯も。子どもたちが駆け回り遊ぶ場所も。
どこに地雷が埋まっているもかわからない。
私たちは地雷の爆破処理を目の当たりにして、地雷が爆発する音を自分の耳で聞いた。
足が震えた。悲しさと怒りで胸が震えた。
一体、何のために誰が埋めたんだろう?
MAGでは現在約450人の人がスタッフとして作業をしている。地雷の被害に遭った人やその家族、内戦に携わらざるをえなかった人々の家族や遺族を極力多くスタッフとして雇っている。中には女性も多い。全スタッフの一割程度の人が過去に地雷の被害に遭った人であるということだ。それぞれの人が内戦で体や心に何らかの傷を負っている。
彼らの作業を直接見せてもらった。
作業中はもちろんプロの表情。炎天下の中で、死と隣り合わせの作業、人並みはずれた集中力と作業する体力が必要であろう。それでも過去14年間で7件の作業中の事故が起きたそうである。絶対に安全などということはやはりないのだ。
作業を終え、想像を絶する緊張から解き放たれれば、また屈託のない笑顔を私たちにも見せてくれる。ヘルメットを脱ぎ、汗を拭きながらニコリとこちらを見て微笑んでくれた。
多くのカンボジア人がそうであるように、地雷除去作業に携わるMAGのスタッフの方々も例に漏れることなく明るい笑顔の持ち主だった。
私たち日本人よりも輝いているように感じた。
地雷原で唄いたい。うたを唄う者として、地雷というものに関わる一人の人間として
地雷原で働く人たちに唄を聴いてもらいたい。遠く日本から応援している人たちがいることを伝えたい。エールになればと。
MAGの方々が願いを聞き入れてくれて、地雷原でミニライブをさせていただいた。
それぞれの曲を聴き、一緒に唄い、踊ってくれた。
仲間との繋がりを描いた『絆』
日本語とクメール語(カンボジア語)で唄う『ともだち〜マッペーヤ〜』
私が創った、仲間や友達との繋がりの曲二つと、そして、カンボジア人なら誰でも知っている『アラッピーヤ』。
ミニライブが終わり、
最後に『歌の言葉はわからなくても、何か感じるものがありました。日本人のみなさんがカンボジアを助けてくれること、一緒に地雷を無くすために動いてくれていることに心から感動し感謝します。』とMAGのスタッフみなさんは言ってくれた。
ぜろ祭りを続けてきて良かった。心から感じた。
これからも続けていこう。
カンボジアの人は明るい。明るくて優しくて、そして強い。
地雷原、都会のゴミ山やストリート、スラム。様々な場所で暮らす人たちが、それぞれにもっている明るさや優しさ、そして生きていく強さ。
私たち日本人が教えてもらうべきことが、この国にはあると思う。
日々の暮らしのリズムが速過ぎて、見失いがちになってしまう人間の心の大切な部分。
地雷だけではなく、学ぶことが多かった今回の地雷原訪問。
私たちぜろ祭り実行委員会は、これからもカンボジアの地雷の現状を通じて、一人でも多くの日本人に、
自分にも出来ることがあること
自分の可能性を侮らないこと
そして、明るさ、優しさ、強さ
それらを『ぜろ祭り』という形にして日本で続けていきたいと思います。
100円で1uの大地を安心して歩くことの出来る大地に戻すことが出来る。
自分なんて何も出来ないって思ってない?
ぜろ祭り、続けていきます。
今回、取材に応じてくれたMAGの皆さま。
地雷原訪問にあたり、様々な手助けをして下さったNPO法人『テラ・ルネッサンス』の皆さま。そして、日本で地雷を減らすために行動してくれている皆さま。
どうもありがとうございました。
一日でも早く地雷が無くなる日が来ることを、そして地雷が無くなった後も、地雷の被害に遭った人たちが働ける環境が整うことを祈っています。
そのために、私たちに出来ることを続けていきます。
感謝。
ぜろ祭り実行委員会代表・森源太、副代表・平井慶祐
↓↓↓今回の視察で撮影した写真は、下記フォトアルバムのリンクから閲覧可能です。↓↓↓
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