基本情報

   
 

カンボジア王国(KINGDOM OF CAMBODIA)の位置
カンボジアの位置 カンボジア地図

【基本データ】
面積
18.1万km2(日本の約1/2弱)
人口
13.8百万人(05年、IMF資料)
首都
プノンペン
民族
カンボジア人(クメール人)が90%
言語
クメール語(カンボジア語)
宗教
仏教(一部少数民族はイスラム教)
 

カンボジアの国旗
カンボジア王国国旗

 

 ◆行政関連サイト◆
- 外務省カンボジア
- 政府観光局
- カンボジア大使館
- 在カンボジア日本大使館

  歴史    
  1945年、日本の敗北に伴い、カンボジアは日本の統治より開放されたが、まもなくフランスによる間接統治が行われることとなりました。その間、カンボジアの人々の間では、独立に向けた気運が高まっていき、独立運動はシアヌークの主導の下、1953年に成功しカンボジア王国が成立しました。

しかし、世界が冷戦へと入っていくと、隣国ベトナムと大国アメリカの影響を受け、カンボジアもインドシナ戦争に巻き込まれることとなり、シアヌークによる統治は、「一時の平和」として終わってしまいました。

1970年には、アメリカの支援の下、親米右派であるロン・ノル国防相による軍部クーデターが起き、シアヌーク政權は崩壊し、ロン・ノル政権が成立することとなりました。その後、激しい内乱の末、台頭してきたのがポル・ポト率いるクメールルージュでした。

やがて政権を掌握したポル・ポトは、毛沢東思想をより過激に、原理的に推進していき、「原始共産主義」を目指し、医者や大学教授、あらゆる知識人を「粛清」していきました。外国語がしゃべれるというだけでも知識人とみなされたり、ポル・ポト政権に反対意見を唱えるものは、次から次へと虐殺されていき、300万人もの人々が虐殺されたとも言われています。

その後も、ベトナム軍の進駐や、激しい内戦の継続など、不幸の歴史を歩んでいき、国土は荒廃し、国の基礎は崩壊していきました。

やがて、1991年には全ての当事者の間でパリ和平協定が成立し、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)管理のもとで、1993年に民主的な総選挙が行われ、立憲君主制、民主主義、自由主義経済を掲げる「カンボジア王国憲法」が採択され、北京に亡命していたシアヌークを国王とするカンボジア王国が成立することとなりました。

しかし、繰り返された悲劇の歴史の中で失われた国の礎を再建することは決して容易ではなく、国土のいたるところに埋められたままの地雷や、整備されているとは呼び難い、教育をはじめとするインフラの不在は、依然としてカンボジアにとっての重大な問題です。

 

 ◆外部サイト◆
- カンボジアの略歴

  アンコール遺跡(アンコールワット)    
 

アンコール遺跡は、カンボディア北西部のシェムリアップ地域において、9世紀から15世紀にかけて栄えたアンコール王朝により築かれた仏教、ヒンズー教の寺院を初めとする巨大な石造建築遺跡群です。

400平方キロメートルにも及ぶ広い地域に数多くの建造物を擁するこの遺跡は、その高い文化的価値から、アジアにおける世界的文化遺産とされ、1992年にはユネスコの世界遺産リストに登録されました。

これらの遺跡は、15世紀にシャム軍によりアンコール王朝が駆逐されて以来長期にわたって、密林に埋もれたままになっていました。今世紀初めにフランスの極東学院の手で調査・研究及び修復が始まったものの、遺跡の巨大さに加え、二度の世界大戦、インドシナ戦争、更には1974年以降のカンボディア内戦等に阻まれ、本格的な修復・保存は比較的最近になってようやく開始されました。

アンコール遺跡はの主な建造材料は砂岩なので、厳しい気候や風雨による劣化、樹木等植物の侵食などに大きく影響を受け、荒廃が進んだ状況にあります。

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